オノ・ヨーコさんのドキュメンタリーを見て

オノ・ヨーコさんのTVの大変面白いドキュメンタリーが放送されましたが、2〜30年前、TBSでヨーコさんのインタビューの番組が放送されました。記憶が曖昧ですが、確か劇作家の如月小春がインタヴューワーだった気がします(検索しても出てこない)。その時僕は、ヨーコさんが随分たくさん日本語をしゃべるのに、とても新鮮な驚きがありました。いつも英語でしゃべる映像しか見ていなかったからなのですネ。
戦前のヨーコさんの御宅でテニスをしたりやピアノを弾く様子が、なんと16mmフィルムに収められているのが写ったり、当時ご存命だったヨーコさんのお母様(白髪で着物を着られた上品な女性)の映像が流れたと記憶しています。

そこで、ジョンとの出会いについて語っていたのですが、ロンドンで個展を開いた時に、
個展開催前日にオーナーの特別な計らいでジョン・レノンが来たと。
そして、林檎の展示があったのを、なんとジョンは齧ってしまった。
まだオープン前なのに大事な展示を
齧られたヨーコさんは咎めたら、ジョンは素直にあやまったとか。

そこでヨーコさんはジョンを大変ストレートな人と評しています。普通ギャラリーに来る様な人は取り澄まして
、「フーム」なんて態度で鑑賞するのに、ジョンは大変ストレートで素直だったと。
だって作品齧っちゃうんだから。
ここがまさにビートルズのジョンなんだと、僕も思います。ビートルズの歌詞は中学の教科書にのるほどに、シンプルでストレート。ビートルズ愛する人は皆そこに魅力を感じるでしょう。

対してジョンのほうは、所謂、前衛芸術はなにかにたいしてアンチ、否定的なアプローチが多かったのに、ヨーコのある作品はシンプルな「YES」のメッセージがあってとても温かい気持ちになり、感動したと。
そのあと色々あって世紀のカップルが誕生するわけですが、ヨーコさんとジョンの出会いというのは、
東洋と西洋の出会いであり、アヴァンギャルドポップカルチャーの出会いでもあるわけです。
だからこそ、この2人の作品は強烈な(人によっては拒否反応がすごい)
メッセージ性を帯びるし、そのイメージは何かの枠から常に自由で手垢にまみれないのだろうと思います。
僕がヨーコとジョンの作品を理解できるようになったのは、小5でビートルズファンになった40年ぐらいまえからすると随分時間が経ってからだと思いますし、
残念ながらビートルズのファン(ポップ文化の、と言い換えてもいい)には、
この2人の活動は理解を超えているところがあると思います。
でもヨーコさんが正しく評価される時代になったんだなとここ数年思います。
僕はビートルズYMOというバンドが特別にすきなのですが、この2つのバンドはポップであり前衛でもある。
そこにとても強く魅力を感じますネ。

それは自分にとって特別な映画作家ゴダールにもいえるのですが、このことはまた書きたいと思います。